※現在、非常に多くの方から「自分を被害者と言っていいのか、むしろ加害者ではないのか…」と相談をいただいています。GADHAは「変わりたいと願う加害者」のための場であり、被害者としての側面があると感じられる方はまず被害者の方々向けの場に参加されることを強く推奨します。
GADHAでは加害者変容のために親子関係や職場、学校(特に部活など)における被害者性について言及することはあっても、パートナーからの被害者性については話しません。あくまで自分の加害と向き合う場であり、自分が行った加害行動の責任は自分のものとして引き受けるためです。
繰り返しになりますが、そのため「自分は被害者なのか、それとも加害者なのかわからない」「自分が被害者だと思ってパートナーに伝えたら、逆に自分が加害者だと言われて混乱している」といった方は、GADHAよりも先に被害者の方々向けの場への参加を強く推奨します。被害者の方々向けの場について、この記事でも紹介していますので、ぜひご覧ください。
記事の目的と構成
このガイドは、DV・モラハラ加害者のパートナー(配偶者や恋人)の方のための記事です。
- 自分は一体、どのような被害を受けているのか
- パートナーは変わってくれるのか
- 自分はこれからどう関われば良いのか
- 自分も加害者ではないのか
といった、DV・モラハラ加害者をパートナーに持ってしまった方々にとって重要な情報を提供していきます。今後も、随時更新していきます。
GADHAとは
G.A.D.H.A(Gathering Against Doing Harm Again:ガドハ)は、大切にしたいはずのパートナーや仲間を傷つけたり、苦しめたりしてしまう「悪意のない加害者」が、人との関わりを学習するためのコミュニティサービスです。
当事者オンラインコミュニティ運営、加害者変容理論の発信、プログラムを行い、大切な人のために変わりたいと願う「悪意のない加害者」に変容のきっかけを提供し、ケアのある社会の実現を目的としています。
はじめにお伝えしたいこと
被害者の方々に、一番最初に伝えたいことがあります。それは、ご自身の心身の健康を最優先いただきたいということです。
DV・モラハラなどの加害者と関わることは、その後の人生に大きな悪影響を与える可能性があります。
すでにされていらっしゃるかもしれませんが「DV 被害者 自助グループ」「モラハラ 被害者 当事者会」などと検索し、近い境遇の方とぜひ話してみてください。様々な情報源がありますので、列挙しておきます。
- 無料でモラハラやDVの相談ができる公的機関や相談機関一覧(by離婚弁護士相談ナビ)
- 配偶者からの暴力全般に関する相談窓口(by内閣府男女共同参画局)
- パートナーや恋人からの暴力に悩んでいませんか。一人で悩まずお近くの相談窓口に相談を。(by政府広報オンライン)
緊急避難が可能なシェルターや、ストーカーと化した場合の個人情報の秘匿方法など、ご自身を守るための多くの情報が得られるはずです。
この記事を書いている人間は、DV・モラハラの加害者であることを自覚した男性当事者です。僕が被害者の方々向けの支援サービスをする資格を持っているとは到底考えられず、より専門的な場への相談を強く推奨いたします。
いまこれを読んでいる方にとって、最も重要な視点が抜けている可能性があることを必ず留意いただき、被害当事者の方々の声を重視いただくようお願い申し上げます。
あなたが受けている被害について
続いてお伝えしたいのは、あなたが受けている被害が一体どのようなものなのかについてです。
物理的な暴力を伴うDVについては、わかりやすく、明確にDVと認識しやすいと思われますので、ここでは言葉による精神的な暴力についてお伝えいたします。
こちらの記事に、加害者側の目線に立って「加害とは何か」を記述しています。ぜひこちらをご覧の上、ご自身がこの被害を受けていないかご確認ください。
一言で言うと、DVとは「支配-服従の関係を作ること」です。物理的な暴力は、そのための手段に過ぎません。
例えばあなたが「そんなくだらないことで、落ち込むな。家の空気が悪くなるだろう」と言われる時、二重三重にあなたは傷つけられています。
「くだらないかどうか」を決められるのはあなただけなのに、加害者は勝手にあなたの感情を決定しようとします。
本当は自分がケアしてもらえないことに腹を当てているだけなのに「家の空気が悪くなる」と、まるであなたが悪いことをしているかのように言い、罪悪感を与えています。
あなたが落ち込みをやめられないと、モノに当たったり、無視したり、お金を出さなかったり、大きい声で威圧したりするならば、それは明確に加害です。
あなたは「反抗しても面倒だから、言うことを聞いておこう」と思うでしょう。そして、自分の解釈を諦め、相手の解釈を受け入れさせられるでしょう。
あなたに直接暴力を振るっていなくても、解釈を独占し暴力によって強要しているからです。これが加害であり、DVであり、モラハラなのです。
パートナーは変わってくれるのか
あなたにとって大事なことは、パートナーが変わってくれるかどうかでしょう。
愛がなければ一緒にいないはずです。しかし、愛があっても、相手からの愛(配慮、ケア)がなければ、関係は限界を迎えてしまいます。
あなたはその限界を感じながらも、自分がどう関わればいいのかわからず、色々なキーワードで調べ、このページにたどり着いたのではないでしょうか。
結論を述べると、あなたのパートナーが変わる可能性はあります。しかし、多くの場合は変われないでしょう。
変われる人と変われない人の違いは明確です。それは「自分に問題がある」と自覚できるかどうかです。
自覚できさえすれば、GADHAや他の権威あるプログラムを通して変容する可能性があります(残念ながら100%ではありません)。
しかし、ここで非常に重要なことをお伝えする必要があります。それは、「あなたには、相手を変えてあげる責任や義務は存在しない」ということです。
「自分にまだできることがあるのではないか」
「別れる前にできることをしよう」
と考えることは、加害者にとっては非常に運が良いことです。しかし、いち加害者として、それを推奨することはできません。
加害者の変容は、非常に困難を伴います。被害を直視し、自分が加害者であることを認め、変わろうとすることは逃げ出したくなるほどの苦痛を招きます。
上記の記事に、加害者が責任を引き受けると言うことについて書いてあります。読んでいただくとわかると思いますが、大変なプロセスです。
ゆえに、「こんなにおれを苦しめているお前は加害者だ」とあなたを責め、攻撃してくる可能性も十分にあり得ます。
ですから、もしもあなたが加害者の変容を促す場合は、ご自身がいつでも距離を取れるようにしたり、なにか攻撃された場合に助けを求められるコミュニティを準備しておくことを強くお勧めします。
少なくとも、被害者の当事者コミュニティや自助グループなどと連携することが望ましいと思われます。決して無理せず、ご自身を第一にお考えください。
加害者は大人です。大切な人を傷つけてしまっているなら、それを自覚して改善することは、本人が責任を持ってやり遂げるべきことです。
決して、あなたがその責任を持つ必要はなく「俺が変わるまでそばにいてくれないなんて薄情だ」といった言葉に騙されてはなりません。
「そばにいてもらえない」ほどに傷つけてきた加害の責任を取れない、未熟な人間の、罪悪感によるコントロールです。
自覚を持たせるにはどうしたら良いのか
DV・モラハラ加害者が変容するためには、上記のようなプロセスを辿ることが予想されます。
加害があり、関係の危機があり、問題の自覚があり、知識を獲得し、実践を繰り返し、成果が出ることで信念も含めた変容に向かっていきます。
加害者プログラムに参加する人のおよそ8割は、妻が家を出る際に「話をしたければこのプログラムに参加してください」という手紙を残して出て行った人たちだと言われています。
加害者は自ら自分の問題に気づくことはありません。実際に愛する人との関係が終わってしまう時に、その恐怖から反省し、関係を修復しようとするときに問題を知るのです。
しかし、問題を知るからといって、自覚して改善できるとは限りません。もし変わることを望むのならば以下の行動を取ることも考えられます。
自覚が難しそうであればとにかく距離をとって関係を終わらせる方があなたにとって良いということは断言できます。自覚してすら変容は困難だからです。
それでは、どんなふうに問題を自覚させるかを考えます。流れとしては、以下のような順番になると思います。
- tweetなどを見せる(僕のtwitterのfav欄も参考にどうぞ)
- 軽い記事などを見せる(例えばこちら)
- 重めの記事などを見せる(例えばこちら)
- 当事者会に参加するよう依頼する(例えばこちら)
- プログラムに参加するよう依頼する(例えばこちら)
上から順に簡単で、下に行くほど重たいものになっていきます。
実際、GADHAの当事者会に参加してくださる方には「パートナーからGADHAのtwitterや記事を紹介された」と言う方が半数以上です。
問題を自覚することで、改善しようと思える人はいるのです。
しかし、これらを頼んでも全く無視されるか、あるいは攻撃してくるような場合(おれが病気だっていうのか! お前の方が加害者だ! など)や、それが容易に想像できる場合は、変容可能性を信じ続ける方が苦しいでしょう。
繰り返しになりますが、「あなたには、相手を変えてあげる責任や義務は存在しない」ことを強調させてください。ご自身の心身の健康・安全を第一にお考えください。関係の終了や距離をとることは決して悪いことではありません。ただしそれが攻撃のトリガーになる可能性もあり、被害者の方向けのコミュニティなどにアクセスされることを推奨させてください。
注意事項
GADHAの活動の中でも周知徹底を心がけてまいりますが、ときにGADHAの活動やプログラムに参加する/したことを「悪用」して被害者を追い詰める方がいます。そのような「悪用」を無効化するため、アナウンスします。
「悪用」の具体例を以下に示すとともに、それがなぜどのような意味で悪用なのかをお伝えいたします。加害者のみなさんも、悪意なく「悪用」しないようにぜひご確認ください。
また、GADHAの考えに違和感を覚えた方や、「本当にGADHAはそんなこと言ってるの?」という経験をされた方は、ぜひこちらのフォームよりその内容をお伝えください。適宜、応答させていただきます。
大前提:加害者の変容を支援する義務も責任も被害者にはない
被害者の方には加害者変容を支援する義務も責任もないとGADHAは考えます。加害者は「こんなに頑張っているのにどうしてわかってくれないんだ」とあなたの罪悪感を煽ってくる可能性があります。しかし、それは相手を変えて、コントロールしようとするコミュニケーションであり、加害です。
GADHAは、加害者変容は、被害者のためであるとは考えません。それは嘘だからです。人は、誰かのために生きてはいけないと思います。それは、自分を他者の道具にすることだからです。
GADHAでは加害を「ケアの欠如」と定義します。自分を他者のための道具にすることは、自分へのケアの欠如になります。これもまた、一つの加害なのです。加害者変容のためには、自分自身への加害も止める必要があります。
加害者は、加害者自身の幸福のために、変容を目指します。その幸福とは「自他共に、持続可能な形で、美徳を発揮して、ケアしあえる関係」を生きることです。これは決して、自分だけの幸福を考えていては成り立ちません。
(恋愛関係以外を含む)一緒に生きていきたい人と、一緒に生きていけるような関係を築いていくことを幸福だと考えます。GADHAにとって加害者変容とは、幸福になることに他なりません。
自分が幸福になるためにやっているのに「自分はこんなに頑張ってるんだ…どうしてわかってくれないんだ」というコミュニケーションは、筋が通らないのです。それは自己憐憫と罪悪感によるコントロールという点でも、相手の感じ方や考え方や言動をコントロールしようとしている点においても、加害的です。
被害者には、どうかご自身の幸福を第一にお考えいただけたらと思います。もしも加害者の変容を支援・応援したいという場合でも、被害者の方をケアしたりサポートするネットワークやコミュニティやサービスにアクセスすることを推奨いたします。
どうか一人で孤立した状態になることなく、自分自身を大切にできる状況を最優先にされてください。
変わりたいと願う加害者の方へ
加害者変容のプロセスは大変なので、誰かに愚痴をこぼしたり、弱音を吐きたくなるのは自然なことです。私たちはそれを否定することを決してしません。
「変わりたいと願う加害者」同士で「わかるわかる」「自分もそう思う時があるよ」と分かち合いながら、それでも「よし、ケアを始めていこう」とまた変容へと向かえるような場で共有することが重要であり、そのためにGADHAがあります。
被害者の方に「自分の苦しみをわかって欲しい」と思う気持ちが湧いてくることを間違っているとかおかしいといって責めたいのではありません。その気持ちは自然なことだけれど、被害者を追い詰めることになります。
加害者変容とは「ケアする主体として生きること」です。ですから、被害者をケアするために、自己憐憫と罪悪感によるコントロールを手放しましょう。そして自分自身をケアするために、GADHAで愚痴や弱音をこぼしましょう。一緒に、なんとかかんとかやっていきましょう。
「GADHAの考え方だと、あなたも加害的だ(から、変われ)」と言われる場合
加害者は、GADHAの理論を学んでいるうちに、自分自身の加害性はもちろん、これまで生きてきた人間関係や、社会的な文化、例えばテレビ番組のバラエティなどにも加害性を見出すことが非常に多いです。これまで気にしていなったことがどんどん気になるのです。親との関係性における、親の加害性に気づくということもよくあります。
その中で、パートナーにも加害性を見出す加害者がたくさんいます。実際のところ、どんな人も完璧ではないので、被害者が加害をすることもあるでしょう。加害とは究極的にはケアの欠如であり、ニーズの読み違えですから、人を一切傷つけないようにすることはそもそも不可能です。
しかし、問題は「何のためにそれを伝えるのか」というところにあります。よく「喧嘩はお互い様だ」「どっちもどっち」という言葉があります。これはどんな時に使う言葉でしょうか。それは「私にも悪いところはあるが、あなたにも悪いところはあるので、直さない」という時に使う言葉です。
誰にも間違うことや失敗することがあるはずです。両方が間違うこともあるかもしれません。しかし、ではそんなときにできることはなんでしょうか。それは「自らの間違いを認め、学び、変わること」です。自分からケアを始めていくことこそが肝要なのです。ですから、被害者が加害をするケースがあったとしても、加害者ができることは加害をやめてケアを始めることなのです。
また、被害者が「反撃」的に、加害者を攻撃する場面はよくあります。元々はケアをすることができていた人が、加害者にケアを搾取されていくうちに、ケアをするエネルギーが枯れてしまうケースです。このような場合、加害者が被害者に「あなたにも加害的なところがある」と伝えることは、自分がやってきたことを棚上げし、被害者の責任に帰するという点で加害的です。
被害者の方の中には「本当はこんなふうに話したくないし、できるなら許して、また仲良く暮らしたい。それでもやっぱり不安や恐怖もあるし、怒りもある。フラッシュバックも起きる。だから、相手が変わったとしても、そんなに簡単に仲良くはできない。優しくしたいけど、できない、したくない」と葛藤し、悩む方もたくさんいます。
また、加害者変容が進むと、被害者が「ようやくこれまでの痛みや辛さをわかってくれる」と感じて、これまでのケースを振り返ることがあります。加害者からすると「変わり始めたのに色々蒸し返されて辛い…」という状況になります。
これも加害者のやってきた加害を考えれば当然のことであり、むしろ「言ってくれるだけありがたい」ということも少なくありません。完全に関係を終了されるよりも、ニーズを明確に伝えてもらうことで、ケアに繋げることもできる重要な機会だからです。このことを知らないと、この状況を「自分の方こそ傷つけられている、被害者だ」と思ってしまうことさえあります。
さらに、仮に被害者に加害的なところがあったとして、では「変わりたいと願う加害者」にできることはなんでしょうか。「間違っているから変われ」と伝えることで、被害者は本当に変われるのでしょうか。自分自身も加害者に傷つけられたと感じている人が、一体どんな時に間違いを認めて変わりたいと思うでしょうか。
それは「自分を変えてでも、この人(加害者)と生きていきたい」という信頼なしにはありえないでしょう。一緒に生きていきたいから、幸福に生きていきたいから変わるのであって、そうでなければ変わる動機などないことを、「変わりたい」と願う加害者こそが最もよくわかっているはずです。
加害者が、被害者にとって、「一緒に生きていきたい」と思える人になることこそが、変化の動機付けとして最も大きなものになるでしょう。それなしに相手に伝えても、ほとんど効果はなく、むしろ信頼を失うことになるはずです。
ですから、加害者が、相手に変わって欲しい部分があるとしても、それは「自分の加害を認めて、学び変わり、ケアすること」には優先されないですし、「そもそも自分が傷つけて相手を変えてしまった可能性があること」を十分に意識しないといけないですし、「関係修復のプロセスとして、ニーズを伝えてくれている」と考えてむしろケアの機会だと考えることも必要ですし、「それらを通して信頼関係が回復してから伝えないと、関係の終了が早まる」というリスクを認識しておく必要があるでしょう。
それに加えて、相手に伝える時に「責める」言い方をしている限りは、加害者変容としては不十分です。相手に「自分のニーズを適切に伝える」こと、ケアを依頼することも、加害者変容の重要なポイントだからです。適切に伝える能力を身につけることで、暴力的に人を支配したり、傷つけていうことを聞かせるという加害を手放すことができます。
しかし、仮に「適切なケアの依頼」の言動であったとしても、それをするべきかどうかは、状況によっては判断が難しいはずです。いくら言動が丁寧であったとしても、自分が散々傷つけた人が、自分に対してケアをしてこないときに、相手に変化を要求することが加害的であることは十分あり得るからです。
ただし、ひとつだけ重要なポイントがあります。それは「加害者にも、関係を終了する権利はある」という点です。これは次の項目にて詳述します。
「どんな関係も終了していいと言われたから、もう別れる」と言われる場合
GADHAでは、「どんな関係も終了していい」「加害者であったとしても、関係の終了を選ぶことはできる」ということを強調しています。これは、「被害者が別れを選ぶのであれば、それを止めることは誰にもできない」ということと裏表の関係にあります。
もしも「被害者は関係を終了してもいいけど、加害者からは関係を終了してはならない」とした場合、GADHAの理論全体に矛盾が発生し、説得力がなくなります。
GADHAは「関係を作る義務は誰にもない。両者が一緒に生きていきたいと願う限りにおいて、お互いのニーズを知ろうとし、ケアしようとし、間違っていたら学び直すことが大事なのであって、そうでない関係を維持することは誰にもできない」と考えるからです。
誰のためでもなく、世間体のためでもなく、自分自身が、一緒に生きていきたいと願う人のために、学び変わっていくことが加害者変容です(今後出会う人とはそういう関係を築きたいから行うことも含みます)。
「被害者のため」という言葉は、GADHAでは使いません。繰り返しになりますが、それは嘘なのです。加害者は、加害者自身の幸福のために生きていいと思います。もちろん、被害者の方も同様です。あらゆる人が、自分自身の幸福のために生きていい。
だからこそ「被害者の方が関係を終了したいと願うのであれば、それは止めようがない」という言葉に意味が出てきます。誰も、誰かを、自分の幸福のための道具にすることはできない。一緒に生きていきたいと願う範囲で、できることを、できる範囲でそれぞれが取り組むのです。
ただし、その幸福は「自他ともに、持続可能な形で、美徳を発揮して、ケアをしあえる関係」にあるので、結果的に他者の幸福を必ず内包するものになります。
このような背景から、GADHAでは「加害者が関係を終了することを選ぶこともできる」と伝えています。関係が悪化し、もう自他ともにケアしあえる関係が到底望めない状態になったなら、関係を終了することはできます。
この考えを曲解し「GADHAで加害者も関係を終了していいと言われた。別れるし、慰謝料や養育費なども払わない」と被害者の方に伝えた人がいました。これは、明らかに誤解です。関係を終了していいことと、法的・倫理的なさまざまな責任を果たさなくていいということは、全く別のことだからです。
このようにGADHAの考えを捻じ曲げて伝える人がいなくなるように、またそれを受けて傷つく被害者の方が少なくなるように、これをはっきりと示します。
「GADHA/プログラムに参加したから、その変化を見て欲しい(そして許して欲しい)」と言われる場合
GADHAに参加する多くの方は、パートナーとの関係の危機を迎えています。そのため、参加の動機として「関係の修復」が中心的です。プログラムなどでは「あくまで加害者変容自体が目的であり、関係修復は目的にならない。なぜなら、それは他者の言動に関わることであり、コントロールできないからである」と伝えてはいるものの、やはり本人としてその動機が全くないと言えばその方が信じがたいと言えるでしょう。
ですから、GADHAの参加者が被害者の方に「自分の変容を見て欲しい、変化したからそれを知って欲しい」と思う気持ちは自然なことであり、それ自体が間違っているとか、おかしいということでは決してありません。
そのため、加害者の方に「被害者の方には一切連絡してはならない」ということを伝えてはいませんし、なにより、そんなことを強制する、他者をコントロールするようなことをGADHAがすることはできないし、すべきでもないし、していません。
だからこそ、ここではっきりと述べる必要があります。それは被害者の方には、その変化を見る責任も義務もなく、仮にどんなにプログラムを真剣に受けても、実際に変容していたとしても、それを許して関係を戻す義務も責任も決してないということです。
「変わりたい」と願う加害者の中には、苦難を抱えながら、多くの場合、親子関係や養育環境の加害と被害の関係を理解しながら、自分のトラウマや痛みを認めながら、変わっていく人もたくさんいます。その努力や苦しみは大変なものであり、もしも叶うなら報われて欲しいと思う気持ちはあります。
しかしそれでも、加害者が被害者を深く傷つけてきた事実は決して無くなりません。その被害者が加害者と関係を「持つべきだ」などとは決して言えません。加害者がどれほど努力しても、仮に加害者変容が明確に進んだとしても、それでもなお、被害者はそれを認める必要も、認めるためにコミュニケーションを取る必要も、責任も義務も一切ありません。
「変化を見て欲しい」と加害者が思うことは自然なことですが、被害者からすればそのような依頼自体にうんざりするかもしれません。また、信じてみようとして結果的に変容していない姿を見ることも傷つき、裏切られたような気持ちになるかもしれません。
「変化を見て欲しい」と依頼される時、被害者からすれば「確認した上で、変化ができていない場合には、傷つくことを持ってして、変化していないことを確認するということになる」恐れがあります。
「変化を見て欲しい」という依頼には「もしも変わっていなかったら、あなたが傷つくことになるかもしれないが、それでも自分のために、自分の変化を見て欲しい」という、相手に一方的にリスクを背負わせる意味内容が含まれていることを、加害者は自覚する必要があります。
だからこそ、仮に依頼することがあったとしても、相手には返事をする義務も、まして変化を確認する義務も決してないことを、わかっておく必要があります。返事がネガティブでも、返事が来なくても、そこで恨みつらみを相手にぶつけることは、まさに他者をコントロールする加害そのものです。
中には、相手からの返事を待たずに何十通も連絡するケースも確認されています。弁護士を経由して連絡するように言われているのに、それを無視するケースも確認されています。「自分はプログラムを終えたから、あとはお前次第だ」とコミュニケーションを強要する人が、加害者変容をしているとは考えられません。
加害者という言葉を引き受け、変わろうとすることは心理的な負担がとても大きなものです。それでも変わろうとする気持ちを認めて欲しい気持ちは自然なことです。しかし被害者にはその気持ちに応える義務も責任もありません。その悲しみや痛みは、加害者同士で分かち合いましょう。そのために、GADHAがあります。
もちろん、GADHAは被害者の方に「加害者とは一切連絡を取らない方がいい」と言いたいわけではありません。たくさんのかたが「別れる前に、できることはしておきたい」と考え、実際に加害者変容をしたパートナーと良い関係を築いている人もいます。
しかし、それは決して義務付けられるものでも、責任があることでもなく、被害者の方がそうしたいと願う限りにおいて行うものであり、誰にも強制されてはいけない、まして加害者が「自分はこんなに頑張ってるのに見捨てるのか」と要求できるものではないということを、ここにはっきりとGADHAの立場を示します。
GADHAに参加するメンバーから「GADHAがこう言ってる」というような形で、被害者に何かを要求したり、加害が継続するケースがあります。少しでも違和感がある場合にはこちらのフォームよりその内容をお伝えください。GADHA内での周知徹底ならびにサイトでのアナウンスを行います(ただし、情報をいただいた直後に周知徹底すると、加害者がそれに気づき、ますます被害者を攻撃する可能性があるため、多少時間を置く可能性がございます。ご承知おきください)。
外部の活動
加害者の変化を支援し、最終的には被害者を支援することを目的とした組織やサービスは存在します。 その多くが、被害者向けのさまざまな活動に取り組まれています。
ぜひ、頼ってみてください。また、ここに紹介されるべき組織やサービスをご存知の方はぜひご連絡ください。
アウェア様は、DV被害女性プログラムを開催されています。
原宿カウンセリングセンター様は、DV被害者のグループカウンセリングを行っています。
サイトの主要なコンテンツ
- トップページ
- 加害者が最初に読むページ
- GADHAの理論ページ
- GADHAの活動ページ
- GADHAの組織紹介ページ
終わりに
G.A.D.H.A(Gathering Against Doing Harm Again:ガドハ)は、大切にしたいはずのパートナーや仲間を傷つけたり、苦しめたりしてしまう「悪意のない加害者」が、人との関わりを学習するためのコミュニティサービスです。
当事者オンラインコミュニティ運営、加害者変容理論の発信、プログラムを行い、大切な人のために変わりたいと願う「悪意のない加害者」に変容のきっかけを提供し、ケアのある社会の実現を目的としています。