関係の危機を迎えた「悪意のない加害者」が最初に読むページ

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このページの目的と構成

はじめまして。このページは、「カサンドラ」「モラハラ」「DV」「パーソナリティ障害」といったキーワードと共に、パートナーとの関係の危機を迎えているあなたのために執筆しています。

このページは、「悪意のない加害者」が、自分の加害性を認識した時や、誰かにそれを伝えられて「とりあえず読んでみて」と言われた時に、最初に読む価値のあるものになることを目指しています。

また、何度も立ち返って読み直せるように、あらゆる情報を一元的にまとめています。ひとまずこのページを読めば大枠がわかることを目指します。

その性質上、長文になりますが、もしもあなたが「自分を変えてでも、大切な人を大切にできるようになりたい」と考えるのでしたら、何日かに分けてでも、ぜひ読み通してみてください。

もしも

「悪い/間違っているのは自分ではなく相手だ」

「変わるべきは自分ではない」

「加害だなんて大袈裟だ、ちょっとしたことだ」

と考えているのであれば、そんな人ほど読んでみてください。

なぜならば、これらの考えは加害者の特徴である以下の2つの意識に紐づいているからです。

1.所有意識:お前はおれのものであり、おれが考えるように考えろ

2.特権意識:おれは常に正しく、お前は間違っているので正されなければならない

このページは、以下の内容によって構成されます。

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最初に私(も加害者です)と、このGADHAというコミュニティサービスの概要や目的をお伝えします。

続いて「加害とはなんなのか」についてお伝えします。多くの場合、加害者が思っているよりもはるかに被害者は傷つき、諦め、虚しい気持ちを抱えています。あなたの加害が人をどれだけ傷つけているのかをお伝えします。

続いて「加害的でない関わり」についてお伝えします。加害とは逆に、「愛や配慮、ケア」の関わりとはどのようなものなのか、概略をお伝えします。

続いて「なぜあなたは加害的なのか」をお伝えします。加害的になっている考え方を示します。それを成り立たせる「遺伝要因」や「環境要因」についても簡単に触れますが、たとえ要因がいくらあっても「加害しているあなた」の責任は減りません。あなたはあなたの責任で、加害をやめる必要があります。

続いて「なぜあなたが変わるべきなのか」についてお伝えします。なぜ自分だけ責められるんだと腹立たしく思うかもしれませんが、それはあなたが相手にしか変化を求めてこなかったからです。

続いて「あなたは変わることができるか」についてお伝えします。結論から言うと、私は人が変われると信じています。ただし、もう傷つけてしまったパートナーと再び関係を持つことができるかは約束できません。それだけの加害をしてきたからです。

最後に「では具体的にどうすれば良いのか」をお伝えします。GADHAのコミュニティやサービスはもちろん、外部のさまざまな支援機関が存在しています。

あなたは、加害によって利益を得てきました。相手を抑圧し変化を要求することで、自分は自分のままでいられるのですから。そんな「楽な」状態を捨てるのは嫌でしょう。しかし、そのような関係は長続きしません。いま、関係の危機を迎え、あなたが変化する時です。

GADHAとは

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GADHAの紹介

G.A.D.H.A(Gathering Against Doing Harm Again:ガドハ)は、大切にしたいはずのパートナーや仲間を傷つけたり、苦しめたりしてしまう「悪意のない加害者」が、人との関わりを学習するためのコミュニティサービスです。それを通して被害者を減らし、ケアのある社会の実現を目指しています(詳細はこちら)。

そのために、以下を提供しています。

「悪意のない加害者」とは、「大切にしたい人に対して、傷つける意図はなく、大切にする方法がわからないために、加害的な言動を繰り返してしまう人」のことです(詳細はこちら)。私たちは、学ぶことによって、この加害を止めることができると信じています。 

モラハラ、DV、カサンドラ加害者などと呼ばれる人たちの中でも、悪意なく、本当はパートナーを大切にしたいのに能力がなかったり、考え方が間違っている人たちです。

自己紹介

ぼくは「悪意のない加害者」当事者のえいなか(@EiNaka_GADHA)です。DV加害者であり、モラハラであり、カサンドラ加害者です。ASDとADHDの診断を持ち、アルコール依存とむちゃ食い摂食障害(食べすぎるが、吐かない)を持っています。セルフチェックでは「自己愛性パーソナリティ障害」「境界性パーソナリティ障害」にも当てはまりました。

これらの用語も、今はまだ初耳のものや「自分とは関係ない」と思うものがほとんどでしょうか。このページにて情報をお伝えしていきますので、ぜひ読み進めてみてください。

僕もまさか自分がDV加害者であるとか、モラハラであるとは考えていませんでした。自分のことを口喧嘩が強く、論理的で、常に正しく、相手の間違いを指摘して改善して「あげる」ことができる人間だと考えていました。

しかし、それらは間違いでした。妻を応援して励ますつもりが却って傷つけて泣かれてしまうことが何度も続いた時、ふと 

自分はこの人を愛しているはずなのに、なぜこの人は「もうあなたと話したくない」と言って泣いているんだろう。 「もしかして」自分の関わりに何か問題があるのではないか。 

と考えたのです。

それから「夫婦 喧嘩」「夫婦 離婚 なぜ」といったキーワードで検索しているうちに

  • ASDなどの発達障害
  • AC、アダルトチャイルド、愛着障害
  • パーソナリティ障害
  • 特にアルコール依存症
  • モラルハラスメント
  • DV 

などという言葉で、自分のしている妻への関わりが加害的であることを自覚していきました。

それからカウンセリングに通うようになり、関連する本や論文も読み漁り(参考文献ガイド)、つまずきが起きたら素直に妻と話し合い、自分の間違いを認め、妻との関わりが改善されてきました。 

妻からは「昔よりずっと一緒に暮らしやすくなった」「我慢していたことを言えるようになった」と言ってもらえるようになりました。

「加害」とは

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加害とはなんなのか

あなたは今まで通り暮らしてきただけなのに、急に「加害者」と呼ばれて驚いたり、怒ったり、動揺したりしているかもしれません。 

物理的な暴力を振るったりもしていないのに、DVなどと言われて納得がいっていないかもしれません。

しかし、加害やDVは物理的な暴力だけを意味しません。DVとは「支配-服従の関係」を作り出すことです。物理的な暴力は、「支配-服従の関係」を作り出すための手段です。

「支配-服従の関係」とは、

俺の望むように感じ、おれの望むように考え、俺の望むように振る舞え

そうしない場合、お前は間違っているから躾を与えてやる

という関係です。あなたは、

「おれを怒らせたお前が悪い」とか

「そんなことで怒るな/泣くな/落ち込むな」

「お前はバカ/愚か/グズだ」

などと言ったり、その怒りや相手の間違いを示すために物を投げたり、ドアを強く閉めたり、壁や机を殴ったり、パートナーを叩いたり、殴ったり、蹴ったり、顎を抑えたり、肩を押したり、わざと大きなため息をついたり、お金を渡さなかったり、無視をしたりしたことはありませんか?

物理的な暴力に限らず、「支配-服従の関係」を作るDVには、あらゆる手段が用いられます。モラルハラスメントは、言葉や不機嫌によるコントロールだと言えるでしょう。

加害を考えるには被害を見るのが一番でしょう。

  • 人の愚痴をその人の未熟さのせいにして責める(感情の共有の拒絶)
  • 机を叩く、物を投げる、扉を乱暴に閉める(物理的な威圧)
  • 体調不良や元気がない状態を許さない(いつも笑顔でいろというケアの強要)
  • 昔のことをいつまでも言うな(自分の責任を取れない、相手の感じ方の支配)
  • 長い期間口をきかない(不機嫌・罪悪感による支配)
  • 生活費を入れない、学費などを払わない(お金による支配)

枚挙にいとまがないほどさまざまな加害の例が確認できます。

「こんなことは大したことない」と思う方もいるでしょう。しかし、これらは全て愛や配慮、ケアのない関わりです。

相手の愛や配慮、ケアを暴力的に搾取する行為であり、関係を破綻させる関わりです。

DV、モラハラ、カサンドラ加害者と呼ばれる人間が行っている行為です。

愛するパートナーが関係を終わらせたいと思うほどの関わりが「大したことない」なら、あなたは大切な人を失うことを「大したことない」と言っていることになります。 

そういう人には変容が不可能なので、大切な人を失うほかありません。

パートナーが「大したこと」だと思っているなら、それは「大したこと」なのです。あなたの感じ方は関係ありません。

あなたとパートナーは他人であり、違う人間です。あなたと同じように物を考え、自分自身で意思決定をすることができます。そう考えないことが、まさに加害の本質なのです。

加害的でない関わり

「愛や配慮、ケア」について改めて確認しましょう。これは、「その人が、その人らしくいられるようなあらゆる関わり」です。詳細は「GADHA加害者変容理論」にまとめていますが、ここでも簡単にまとめておきます。

まず、人は解釈をして世界を捉えています。「この私」すら、解釈によるものです。解釈は不確かで、人によっても「この私」の捉え方は異なります。これはとても怖いことです。私が不安定な状態だからです。

人の幸福とは、「この私」という解釈を誰かと共有し、「この私」だと思える私として生きていくことです。 

そして、それが相互にできる関係であれば、「この私」「このあなた」を不確かな解釈にさらさず、「自分たちらしく」生きていられます。

具体的には

・あなたといるときが、一番飾らない、自分らしい自分でいられる

・自分が自分のままでいても、攻撃されたり批判されたりしない

と相互に感じられる関係が、自分たちらしく生きていくことです。私はそれを「くつろげる関係」と呼んでいます。

あなたはパートナーといるときにそう感じているかもしれません。自分を変えずに相手に変化を求めていればいいのだからそうでしょう。

しかし、パートナーは全くそう思えず、落ち着かず、あなたの機嫌を伺い、怒られたり責められたりしないかビクビクし、自分がしたいことや、感じていることがわからなくなっています。

これは加害です。非常に暴力的な、優しさを搾取し人格を軽んじ、対等な人間として愛することができない人間による加害です。あなたは、愛するパートナーを傷つけ、不幸にしています。

自分らしさとはなんでしょうか? それは自分が感じたり、考えたりすることです。 

加害的な行為とは、それを阻害する行為です。「俺の望むように感じ、望むように考えろ」ということです。 

例えば落ち込んでいる人に「いつまでもそんなくだらないことで落ち込んでるなよ。家の空気が悪くなるだろ」といって、相手の感じ方や考え方を軽んじるのがその典型です。

その人の傷つきや落ち込みは、現に存在している感情です。くだらなくありません。 

くだらないなら、落ち込んでいないんです。くだらないかどうかは、あなたが決めることではありません。

ここで恐ろしいのは、気にしているのは「家の空気」ではなく「自分の機嫌」である点です。 

こういうことを言う人は相手を気遣っているのではありません。 

「なぜ不機嫌な状態でおれに気を遣わせようとするんだ、それをやっていいのは俺であってお前ではない」と言っているのです。

こんなこと上司に言えますか? 言えないはずです。ちゃんと相手を選んで言っているのです。自分の所有物であり、下に見ているから、人の感情を「くだらないもの」と言えてしまうのです。

「愚痴が聞けない」と言っている人も嘘です。相手によっては黙って頷き、お酒を注ぎさえするでしょう。その人の感じ方を受け止めることはケアであり配慮なのです。

その人といると、自分の感じ方や考え方が軽んじられ、馬鹿にされ、どうでもいいものとして扱われる。そう感じる人といたいと思う人はいないでしょう。

加害とは「その人が、その人らしくいること」を認めず、自分の望むようにあって欲しいと願い、そのために相手をコントロールする行為です。 

愛や配慮、ケアとはその逆で「その人が、その人らしくいられるようなあらゆる関わり」です。あなたがすべきで、ずっとしてこなかったことです。

具体的には以下のようなことが挙げられます。

  • パートナーとの対立の中で、相手の世界を想像して、自分が妥協したり折れたり変わること
  • 自分の「納得」よりも、相手の「生きやすさ」を選ぶこと
  • 相手が辛く苦しいときにそばにいて、しかし相手の行動や考え、感じ方の変容を求めないこと(愚痴をただ真剣に聞くことも含む、これはとても大変な労力を要します)
  • 自分の間違いがあればそれを認め、言葉で謝り、行動で反省を示すこと
  • 自分の正すべきことを示されたら不機嫌にならず、感謝すること(間違いを指摘してもらえるのは、間違いを指摘されても怒ったり不機嫌にならない人だけです)
  • 相手が怒ったり悲しんだりしていることを嫌がらずに受け入れる、体調不良など自分がケアしてもらえない場面で「むしろ自分はどんなケアができるだろうか?」と考える
  • サプライズのプレゼント、親切に思ってした行動を相手が喜ばなくても不機嫌になったり怒ったりしない(これは相手の感情の強要であり、強烈な暴力です)

私はパートナーシップには、「愛や配慮、ケア」に取り組む責任があると思います。

ともに幸福に生きていく=「あなたといるときが、一番飾らない、自分らしい自分でいられる」「自分が自分のままでいても、攻撃されたり批判されたりしない」と相互に感じられる関係を作る責任です。

加害者とは、その責任を放棄した人たちです。しかし、その責任の存在を認め、自分がそれを果たしていなかったことを認め、それを果たすために学び、変わっていくことができれば、人と共に生きる幸福を得られるかもしれません。

変わるべきはあなた

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なぜあなたは加害的なのか

加害的な考え方はどのように育まれてきたのでしょうか? 論者によってさまざまな意見があります。ある人は「遺伝的な要因」であるといい、ある人は「環境的な要因」だといいます。

ここでは、敢えて個別の要因の詳細は述べません。ただし、心当たりがあるものは本を読んでみても良いでしょう。 

たとえ暴力的な家庭で育ったとしても、ASDなどの発達障害があろうとも、アルコールやギャンブルなどへの依存症があろうとも、あなたが加害的なのは「あなたが選んでそうなっている」ことを認めましょう。

私がまさにそうです。父や兄による面前DVや暴力的な振る舞いを見て育ちました。感情の表現として机を殴る、ドアを壊れるほど乱暴に閉める。椅子が破壊されることもありました。 

アルコールを飲み爆発し、「怒らせた方が悪い」と自分の暴力を人のせいにする家で育ちました。

自分自身もそのような表現を覚え、パートナーに対して暴力的で嫉妬深く、不機嫌を相手にケアさせようとして生きてきました。

アルコール依存もあり、ストレスがかかるとワイン2本に加え、無茶食い摂食障害とされる、通常では食べられないほどの量の食事を取っていました。

酔っては眠り、起きたらすぐに飲酒を開始する「連続飲酒」という、アルコール依存症の最も危険なステージまで進んだこともあります。

そして、酔っているときの私は絡み酒で、妻に怒鳴ることが何度もあり、しかも次の日には全て忘れていました。

書いていて手が震えるほど恥ずかしく、愛する妻になんて加害的だったんだと腹が立ち、妻に申し訳ない気持ちと後悔が湧き上がります。

このような人間であることから、パーソナリティ障害についても色々調べました。自分は自己愛性と境界性があてはまるだろうと感じました。しかし、それがわかったからといって、何か対策ができるわけではありませんでした。

さらにカウンセリングの結果、WAISというテストも受け、いわゆる発達障害:ADHDとASDがあることもわかりました。ADHD(特に衝動性、ドーパミン欠乏)は、ドーパミンを出してくれる行動に依存するリスクが高いことがわかりました。アルコールはまさにそれでした。

ASDはアスペルガーと昔言われていたものですが、いまはもっと定義が広がっています。自分と違う他人の世界を想像するのが苦手で、自分が見たり感じているように相手も見たり感じたりしているだろうと考えてしまう傾向があります。

私も今まで何度も「人の立場に立って考えろ」と言われてきましたが、私がやっていたのは「人の立場に立って、自分の感じ/考え方で考える」ことでした。求められていたのは「人の立場に立って、その人の感じ/考え方で考える」ことだったのに。

それができていなかったので、自分と違う考えの人間は非合理的で愚かだと考えてきました。 

自分の考えしかこの世界にはないはずなので、それに従った行動を取らない人は間違っていて正すべきとすら感じていました。 

これはまさに「自分の解釈を他者に強要する」行為で、加害的な暴力です。

しかし、その人の行動や感じ/考え方には必ず合理性があります。その人にとっての合理性がなければ、そのようには考えないはずだからです。

では、その合理性はどんなものなのか? それを勝手に決めつけるのではなく、その人に聞くことから他者の理解は始まります。 

愛するパートナーのその合理性を尊重することから、加害をやめることが始まります。

・虐待家庭(アダルトチャイルド、DV)

・アルコール依存

・発達障害(ADHD、ASD)

などの要因を、私の体験を例に出して説明してみました。しかし、これらの1つとして加害の責任を減ずるものはありません。

繰り返しますが、あなたは相手を選んで加害しています。会社でいきなり上司に殴りかかったり、こづいたり、相手を馬鹿にして自分の正しさを押し付けるように話したり、扉を勢いよく閉めたり、会社のものを投げつけたり、上司を無視したり、していないはずです。

感情のコントロール能力が低いのではありません。感情表現能力が低いのでもありません。仕事で必要であれば問題解決もするでしょう。

あなたは、パートナーを「所有物」として捉えています。

そして、自分は「特権」を持っているから、

1.パートナーを自分の思う通りになる存在だと考え、

2.そうでないと、しつけとして罰を与えて良いと歪んだ思考で加害しているのです。

加害的になってしまった原因はいろいろあるでしょう。しかし、パートナーを大切にするために重要なことは原因を明らかにすることではありません。

あなたの考え方、言葉、振る舞い、行動を変える必要があります

なぜあなたが変わるべきか

こういう話をすると

「じゃあ、加害的な自分のことを攻撃したり批判するのはどうなんだ?」

「これがおれの自分らしさなのだが?」

「お前にも欠点はあるだろう?」

とパートナーを責める人もいます。しかし、それは間違いです。理由はたくさんありますが、ここではいくつか述べていきます。

1.あなたは加害しています

あなたは、パートナーがどのような人間であれ、あなたの加害に着目し、それをやめるべきです。共に生きることを決めたなら、その責任をあなたは持っています。

2.あなたの番です。

パートナーはあなたのために変わろう、合わせようとし続けてきました。決して自分は変わらずあなたにだけ要求しているわけではありません。いまその限界を迎え、関係の危機が目前に迫っています。あなたが変わる時です。

3.あなたは加害されていません。

あなたがしてきた加害と「その加害をやめてほしい」という訴えは違うものです。あなたの加害は「あなたのために」寄与します。パートナーの訴えは「関係のために」寄与します。あなたとの、加害のない、くつろいだ関係のために必要なのです。それは加害ではありません。

4.あなたは愛しています。

あなたがパートナーを愛しているなら、パートナーが生きやすくなるように、くつろげる関係を作れるように、あなたができることをしませんか。求めるばかりではなく、自分になにができるかを考えませんか。幸福は、お互いを気遣う関係にしかありえません。

5.あなたが幸せになりたいからです。

このページの最後に詳述しますが、僕は、加害者は、幸せになりたくて加害をしていると思います。しかし、それは幸せになる方法としてうまくいかなかったのです。あなたは加害がしたいのではなく、幸せに生きたいはずです。加害者変容は、あなた自身を幸せにすることです。

あなたは変わることができるか

人は変わることができると信じています。人を傷つけてしまう人の中でも「悪意のない加害者」は、その変容に期待ができます。 

故意に傷つけているわけではなく、単に愛したりケアをする能力を持っていないだけだからです。そして、それは知識と実践によって身につけることができます

「愛」や「配慮」「ケア」という言葉を聞くと、大袈裟と感じたり違和感を覚えるかもしれません。しかし、加害とはまさに「愛や配慮、ケアのない関わり」であると言えるのです。 

あなたは、愛や配慮、ケアのない関わりをパートナーに継続的に繰り返し行ってきました。 

パートナーの愛や配慮、ケアを一方的に搾取・利用し続けてきました。 

そして、ついにパートナーが関係の限界を迎えた可能性があります。

逆に言えば、

a.あなたが「愛や配慮、ケア」を理解し、

b.自分の関わりにそれが不足していることに気づき、

c.これから「愛や配慮、ケア」のある関わりを増やしていけば、

あなたは加害をしない人間になれるかもしれません。

自分がケアの関わりをすればするほど、自分がケアされていたことに気づけるようになり、感謝ができるようになります。ケアは、片方だけがしていたら、枯渇してしまいます。でも、お互いがケアと感謝をしていれば、ケアはより強く大きくなっていきます

具体策

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では具体的にどうすれば良いのか

長くなりましたが、これが「悪意のない加害者」が最初に読むページのラストパートです。

これまで読んでいただいた上で「とても難しい」「できそうもない」「やりたくない」と感じる方がほとんどでしょう。

実際、パートナーとの関わりにおいて相手に変化を求めてばかりだった人間が加害者です。

そんな人間が、自分の変化の必要性を認めることも、実際に変化することも、とても大変なことです。

しかし、そういう人の変化を支援し、最終的には被害者を支援することを目的とした組織やサービスは存在します。 

ぜひ、頼ってみてください。また、ここに紹介されるべき組織やサービスをご存知の方はぜひご連絡ください。

こちらの記事に詳細がわかりやすく記載されていますので、ぜひご覧ください。

「暴力をやめたいと思っている方々を応援します」を中心的なメッセージとして持つ場です。DV教育プログラム-男性編-を準備していらっしゃいます。

アウェアはDV(Domestic Violence)をなくすことでジェンダー平等社会をめざす市民活動団体です。加害者プログラムは

妻・恋人への暴力を止めたい男性のための~DV克服ワークショップを定期的に開催していらっしゃいます。《妻・恋人への暴力を止めたい男性のための自助グループ》も。

僕は「悪意のない加害者」の変容を支援し、ケアのある社会の実現を目指して活動しています。ここまでの文章を読んだ方は「怖そう」とか「怒られる」とか「辱められる」というイメージを持つかもしれませんが、そんなことはありません。

僕は、加害者の方は「幸せに生きたくて」加害をしていると思っています。生まれ育つ中で、「人より上か下か、偉いか偉くないか、強いか弱いか」といった基準で人が評価され、下にいると馬鹿にされ叱られ怒られ傷つけられ蔑ろにされ、上である方が良い、上になりたいと心底実感した人が、幸せになるために加害者になってしまっているように思うのです。

しかし、その考え方で幸せになろうとすることは、誰かを下にして、馬鹿にして、傷つけることを不可避的に伴います。そんなふうに傷つけられ続ければ、人は加害者から離れていきます。加害者は幸せになりたかったはずなのに、幸せになろうとするからこそ、結果的に人を傷つけ、人が離れ、孤独になることを通して不幸になっていると思います。

これはとても悲しいことです。だから、GADHAでは加害者を責めたり、辱めたり、こらしめたりはしません。それは結局のところ、上下で人を見る世界観と変わりません。むしろその人(というか僕も含んだ、僕たち)の弱さ、不完全さ、これまでの傷つき、孤独の苦しみ、痛みを認めるところから始めたいと思っています。

人生は辛い。自分なりに必死に生きてきたのに加害者になってしまうなんて、悲しいことです。でも、人を傷つけてしまったことはなかったことにはなりません。不条理にも思えます。でも、人生はそもそも不条理なのだと思います。その不条理さに怒りが湧きそうになるとき、考えてほしいのです。その怒りの前には、悲しみや傷つきや無力感や無能感がありませんか。

それらの悲しみを真に認められた時、人はようやく自分を慈しむことができます。そして、今度は自分が傷つけてきてしまった人の悲しみに思いを馳せることができます。そのとき、ようやく人は本当の意味で謝ること、償うことを始められます。

そしてそれは結局のところ、(傷つけてしまったパートナーとは限らないし、パートナーシップとも限らないけれども)また誰かと生きていく幸福を生きていくために必要なことです。

強がるのではなく、傷つかないのではなく、ネガティブな感情を否定するのでなく、自分の弱さを認めて、傷つき、落ち込み、弱音を吐けるようになること、そんな自分を慈しむこと。そして誰かの弱さを認め、傷つきや落ち込みを自然なものだと変えようすることなく尊重できるようになることが、幸福には必要なのだと僕は思います。

このページを読んでくださった方が、どうかGADHAのような考え方に触れて、「自分は幸せに生きたい。だから、大切な人と一緒に幸せになれるようなコミュニケーションや、考え方や、価値観を知りたい」と思ってもらいたいです。

その変化のプロセスには痛みが伴わないとは言えません。自分がこれまで信じてきた価値観が崩れ、苦しむこともたくさんあります。でも、自分の何もかもがなくなってしまうわけではありません。これまで積み重ねてきた努力や、必死で生きてきた頑張りが、何もかも無駄になったりもしません。あなたは、これまで生きてきた中で、多くのことを学び、身につけて生きてきたはずです。

ぼくはよく「道具を増やすということなんです」とお伝えします。ハンマーで釘を打つのは簡単です。でも、ハンマーで封筒を開けるのは難しいはずです。さまざまな状況に適した道具を選ぶことができるようになること。それが加害者変容の大事なポイントです。積み重ねてきた物事を何もかも手放すのではなく、新しい道具を使えるようになることなんです。

幸せになるという目的のため、これまで僕たちはうまくいかない道具を使ってきてしまいました。手を繋ぐべき時に、ハンマーで殴るような、そんなことをやってきてしまいました。相手を深く傷つけてしまうコミュニケーションではなく、ケアに満ちた関わりを共に学びませんか? ぜひ以下のページをご覧ください。

加害者が自分の加害を認識し、変わろうとするためには、近い境遇の人が変化しようと努力している姿を見ることが一番です。愚痴をこぼしたり、弱音を吐いたりする場所も必要です。そのため、加害当事者を対象とした参加無料のオンラインコミュニティにて、さまざまな相談やイベントができるように準備しています。詳細はこちらから。

加害性に気づいたら、次は基本的な考え方を学びます。加害とその影響、どう責任を取るのか、愛と配慮のある関わりや、加害者からの変容プロセスなどを記事や動画などで紹介します。ぜひこちらから一読ください。