こんにちは、GADHA立ち上げ人のえいなか(@EiNaka_GADHA)です。
自省録シリーズは、連載コラムの1つです。立ち上げ人というと、まるで「悪意のない加害者」を卒業していて、悟ったかのようですがそんなことはありません。
僕自身、日々間違いを犯しています。しかし、それが間違いであると認め、次からどうすればいいのかを反省できるようになったのは事実です。
自省録シリーズでは、妻との暮らしの中での誤りを取り上げ、それをどのように考えたのかを記していきます。
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できごと
ある日、妻の考えを僕にわかるように説明「させて」いた時に、妻に「こんな風に説明させられるなら、いちいちつまずきを話し合いたくない」と言われました。
頭が真っ白になりました。僕は障害を持って相手に多大なコストをかけてもらっているのに、当然という顔をしていたことに気づいたからです。
一体何様のつもりで「おれにわかるように話し、説明し、納得させよ」と思えていたのか。なんとおこがましく、醜い、上から目線の要求か、自分に驚くほどです。
妻のことをわかろう、妻の見え感じる世界を教えてもらおう、そんな姿勢は全くなかった。なんて暴力的な人間だったんだろう…。、今ではわかりません。
ASDを持ち、他者の世界を想像する能力が低い僕は「自分の想像できる範囲の合理性」を超えるものごとを想像できず、自分の解釈の枠組みの中に落とし込めないものを「間違っている」と考えていました。
それはすなわち相手に「説明責任のコスト」を押し付けているわけですよね。僕はわからないけれど大切な妻に対して「迷惑をかけるけれども、教えてもらって、理解させてもらいたい」という態度を全く持てていませんでした。
「わかりあうために話し合おう」という言葉は美しい。けれども、僕がそれを妻に言う時、「わからせる」ために話していたと結論せざるを得ない。そんなものは話し合いではありません。
相手の見え感じる世界を教えてもらおうとし、それに合わせて自分を変えようとしない人間に、話し合いはできないと気づけました。
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終わりに
G.A.D.H.A(Gathering Against Doing Harm Again:ガドハ)は、大切にしたいはずのパートナーや仲間を傷つけたり、苦しめたりしてしまう「悪意のない加害者」が、人との関わりを学習するためのコミュニティサービスです。
当事者コミュニティとイベントの運営、加害者変容理論の発信、トレーニングなどを行い、大切な人のために変わりたいと願う「悪意のない加害者」に変容のきっかけを提供し、ケアのある社会の実現を目的としています。
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