はじめに
実践論とは何か
実践論とは「悪意のない加害者」を対象に、「1.大切な人を大切にするとはどのようなことか」を明らかにし、「2.それを身につけるための方法」を示すことを目的に、G.A.D.H.A.が提唱している理論です。
「悪意のない加害者」とは、「大切にしたい人に対して、傷つける意図はなく、大切にする方法がわからないために、加害的な言動を繰り返してしまう人」のことです。
実践論は「ケアのコミュニケーション理論」と「悪意のない加害者からの変容理論」の2つによって成り立っています。以下に、それぞれの概要を述べます。詳細はそれぞれのページをご覧ください。
ケアのコミュニケーション理論
この理論が応えようとする問いは「大切な人を大切にするとはどのようなことか?」です。
これは、多くの「悪意のない加害者」が悩んでいる問いではないでしょうか。感情がわからない、もっと気遣って欲しい、人の気持ちがわからない。たしかにそうなのかもしれないけれど、じゃあ「気遣う」「ケアする」って具体的にどういうことなんだろうかと途方に暮れる人は多いです。
現状の仮説は以下です。ケアすることとは、自分ではなく他者の感じ方に寄り添い、自分を楽にするために相手を変えよう/結果的に否定しようとせずに、苦しみの感情にも傍らで気にかけて、言葉ではなく関わりによって、解釈の承認を通して存在を肯定することです。
これではわかりづらいですよね。今後、その具体的な意味について検討していきます。ケアのコミュニケーション理論の詳細はこちらから(作成中)。
悪意のない加害者からの変容理論
この理論が応えようとする問いは「どうすればケアのコミュニケーションができるようになるのか?」です。
「ケアすることや気遣うことって、頭では理解できるけれど、実際どうしたらよいのか結局よくわからない」と悩む人も少なくありません。これは、「ケアのコミュニケーション理論」がスポーツで言う「フォーム」、武道で言う「型」のようなものだからです。
正しいフォームを知っても、具体的にどうやってそれを自分が使えるようになるのかわかりませんし、実際に使ってみても「フォーム通りにできているのかどうか」は結局よくわからないはずです。なので、この変容理論では「できなかった人ができるようになるプロセス」を明らかにします。
現状の仮説は以下です。
左側が、この変容理論になります。ケアレスな関わり→ケアフルな関わりができるようになるまでの過程です。最初はなんらか原因となる属性や状況があり、ケアレスな関わりしかわからず、加害的な振る舞いをしてしまいます。
それが関係の危機を生み、問題を自覚することで知識を獲得します。この知識というのが、右側のケアのコミュニケーション理論です。これを知って、実践を繰り返しながら修正する作業を通して、徐々にケアレスだった人がケアフルな関わりを身につけることができるのです。
現在、この理論を洗練・検証するためにパートナーから「前とずいぶん変わって、一緒にいてくつろげるようになった」と言われるようになった「悪意のない加害者」へのインタビュー調査を行っています。ご協力いただける方はぜひご連絡ください。
今後、より具体的な内容をコンテンツ化していきます。悪意のない加害者からの変容理論の詳細はこちらから(作成中)。