あるあるエピソード1.求められていないアドバイスをする

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「悪意のない加害者」にはさまざまなコミュニケーションパターンが存在します。そして、本人はそれ以外のコミュニケーションパターンを知らないため、当たり前だと思っています。今回はそんなコミュニケーションの1つ、「求められていないアドバイスをする」についてお話します。

これまで多くの方のお話を伺い、自分自身を振り返っても非常に多いのがこの「求められていないアドバイス」です。自己紹介にも書きましたが、僕もブラック労働で倒れ休職中だった妻に、相談されたわけでもないのに、複数のキャリア理論について紹介し、現状を分析し、次にどのようなアクションを取るべきかを話して関係の危機を迎えたことがありました。

 

相手は悩みや辛さ、しんどさや不安を共有してくれていたのに、その感情についてまず受け入れるということをしない。そのような感情があることを認めないか、あるいは当然の前提とした上で「で、どうするべきか」に話を持っていこうとしたのでした。

 

人間の悩みというのは、大きく2種類だと思います。1つ目は「どうしたらよいのかわからない」というもの。2つ目は「わかっているけれど、できない」というものです。僕は、多くの「求められていないアドバイス」の背景には、この取り違えがあるのではないかと考えています。

 

「どうたらよいのかわからない」人に「こういう選択肢もあるのではないか」という提示は、求められるならばやっても良いかもしれません。しかし、多くの場合、悩みというのは本人が一番考えているわけですから、ぱっと思いつくようなアドバイスは本人も検討していることがほとんどです。

 

どちらかというと、多くの悩みは「わかっているけれど、できない」からこそ悩みなのです。「仕事が辛いし上司もきつい、いまは繁忙期だから特に大変なんだよね…疲れたなー」と言われたときに「じゃあやめたらいいじゃん」というのは、まさにこの「求められていないアドバイス」です。

 

そのような選択肢があることくらい誰でも知っています。でも、責任感や罪悪感、生活の不安やキャリアのことを考えると簡単にやめられないから悩んでいるのです。

 

大切にしたい人が何か悩んだり、ネガティブな感情を共有してきたときに「わかっているけれど、できない」というようなアドバイスをすることは相手を傷つけてしまうことがあります。

 

何か慰めの言葉が思い浮かばないときもあります。そういうときには、その苦しみや悲しみを「減らしてあげよう」と頑張る必要はありません。その苦しみや悲しみは間違っていると「教えてあげる」必要もありません。

 

落ち込んでいる人のそばにいることは大変なことです。でも、相手の感情を否定も肯定もせずに、でもそこにいて話を聴き続けようとする姿勢で、場や時間を共有すること自体に意味があることがあります。

 

大切な人が苦しんでいるとき、何かアドバイスをしなくても良いのです。その人の状況、感情を時間・空間的な意味で共有する。問題解決をするのではなくて、感情共有をする。面倒くさがったり、スマホをいじりながらそこにいるのはNGです。

 

簡単なようでとても難しいことですが、ぜひ試してみてください。